-【移住者インタビュー】自治会活動が暮らしを変えた 小幡さんの場合-
私の母が鹿児島出身なんです。私自身は福岡出身で、東京で暮らしていました。40年前に父が亡くなり、そのタイミングで福岡にいた母が鹿児島へ戻りまして。私は子育てが忙しく、なかなか鹿児島へ行くことができなかったのですが、お墓参りなどで年に1回のペースで行っていました。私は一人娘なので、いずれは(母を)見ないといけないかな、という思いがあり、私だけでもいいから鹿児島に行こうかなと考えていました。そんなとき、主人が田舎に憧れを抱いていたことを知って、2人でここ曽於市への移住を決めました。
移住先が曽於市だったのは、移住先を考えていたタイミングと曽於市に住んでいた私のおじ夫婦が曽於市を離れるタイミングが重なったからなんです。おじが10年以上自治会長をやっていたこともあって、皆さんすごく温かく迎えてくださって。おじ夫婦がその地区を離れて2人減るはずが、私と主人、私の母の3人が行くことでプラス1になるわけですから、すごく喜んでくれました。移住する時は、私も主人も郷に入っては郷に従え、という気持ちでいましたよ。
そうです。来た次の年に、年配の方ばかりなので「自治会長をやらないか」と言われ、その翌年から就任して今3年目です。自治会のことをやったおかげで、いろいろな意味で地域のことを知ることができたので、良かったと思います。ここで生活していくということを考えたときに、何も知らないわけじゃないですか。市役所でもいろいろなことを教えてくれるわけでもありませんし。だからまずは自治会に入って、自治会行事をとりあえず1年やって、その次の年から教えてもらいながらやっていく中で分かってきました。
言葉です。私達が住んでいるのは末吉ですが、主人が勤めたのは大隅のシルバー人材センターだったので、言葉も地理も全く解らなくて苦労したようです。一緒に仕事をする方が年上の方ばかりで、普通に若い人と事務所などで話しているときは通じるのですが、お年寄りの方と話して、いろいろ話しだすと全然通じない。私も時々「えっ」というときがありますけど、ちゃんと解説してくれます。「聞いたことがないよね、こうだよ」と近所だと言ってくれます。むしろ言葉以外は全然。皆さん親切に教えてくれますし、特に困ったことはありません。
曽於市は自然豊かでいろいろな観光地がいっぱいありますよね。桐原の滝とか、大川原峡、花房峡も。うちの近くでは陣が岡もあります。あと、子どもたちが素直で、人懐っこいです。都会では考えられないですよ。つい最近、スーパーの駐車場から出るときに子どもが通りかかったので止まったら、逆に子どものほうから「どうぞ」と言われて(笑)。会釈して渡るのは、そこまでは分かります。この間は渡った後に、振り返って、挨拶してくれました。もうびっくりしました。そのままスッと行くかと思ったら、止まって、振り返って、挨拶してくれて、ああいうことはすごくいいです。
たからべ森の学校です。2年ぐらい前にここで映画イベントをやりましたよね。そのときにそれをSooGoodFM(地元ラジオ局)か何かで聴いて、こういうところがあるのだということをまず知りました。そのときは行けなかったんですが、ホームページを見てカフェもやっていることを知って、一回食べに行きたいと思って来たことが最初です。雰囲気的に、私の田舎の中学校はもう少し大きいけどこういう感じで、学校も懐かしかったですし、廃校利用ということにもすごく興味、魅力を感じました。もったいないですからね。あるものを利用して何かを作るということはすごくいいなと思いました。
期待しすぎてはだめですね。してもらうのではなく、自分が何かをする、積極的に自分が飛び込んで行くということでしょうか。聞きに行かないと教えてくれないじゃないですか。私も自治会に入ったように、まずはどういうことをしているのか、外から見て文句を言うだけでは分からないので、まず入って、実際にその中でやっていけばいいと思います。
それから、移住と言うともちろん若い人たちにも来てもらいたいけど、私は定年後の生活でもすごくいいと思います。年金で暮らせるというか。どういうふうに生活したらいいのかとか、実際にするとどうなのか、なかなか現実的に分からないということがあります。移住のお試しをやっている自治体もあるそうなので、調べてみると良いかもしれませんね。
曽於市で一番好きな場所である「たからべ森の学校」の前で
「移住は定年後でもいいと思う」と小幡さん
桐原の滝
大川原峡キャンプ場
花房峡憩いの森