-【移住者インタビュー】財部から地球へ優しいライフスタイルを発信!黒木さんの場合-
私は移住をして、農業をしているって最初は思ったんです。
でも、実際にされている方たちと会ったら全然ちがう(笑)
私はヨガや翻訳をしながら、畑のある生活をしているんです。完全に自給自足とまでは行っていないですが、家庭ごみを堆肥にしお野菜を作ってたべて、という循環をするライフスタイル。また、それを広げたいんです。
だから農業とはちょっと違うなって。
夫婦で麦をたくさん作ってパッケージングしているんですが、顔が見える人たちが食べてくれるのは嬉しいです。
私たちのオーガニックの生活を知り、安心して食べられる食べ物を作っている生産者さんだから買いたい、という言葉を聞くと。自分たちのために始めたことですが、やりがいがあります。
(自分で)作り出して、美味しいって食べていただくってなかなかないから嬉しい。価値観になります。
立地がすごく好きです。11年くらいロサンゼルスに住んでいたときは、どこにでも歩いていける距離。車社会だが都会なので、今日これが食べたい、あれがしたいと思ったらすぐに行ける場所でした。
でもそうではないから不便だろうな、どうだろうと思っていました。
都城のモールへ2~30分圏内、鹿児島空港も山道で40分くらいで渋滞なく行ける。
ドライブも鹿児島はもちろん日南、宮崎も行けるし、温泉は霧島。ロケーションが良いです。
曽於市の土地は農家さんとか農業をしている方がいっぱいいるんですよ。おじいちゃんとおばあちゃんとかが家にトラクターを持っていて自分のお米を作るとか、自分で畑をするとかしている。
農業一本でやっていくとなると、初期費用にトラクターを買ったりとか。
手作業じゃ間に合わない、生計を立てるには間に合わないような規模を想像しないといけないから。そんな100万200万のような規模じゃなくなるから、本気でやらないと。リスクもあります。
ただその分、市も支援をしてくれるから。曽於市は有利かなと思います。
そもそも農業をする場所は曽於市じゃなくても良かったから。
私は恵まれていてラッキーなんです。
タイミングが良かったです。10年前に戻ってきていたらできなかったんじゃないかと思います。
3年ちょっと前に帰ってきて、たからべ森の学校や、東京からの地域協力隊や、オーガニック野菜を売っている面白いおじちゃんとかがいた。そういう人と人を繋いでもらって、アメリカ帰りで話題性もあるからコミュニティに溶け込んでいくのは早かったですね。
タイミング的に、若い人たちが活動しているところにちょうど乗っかれてラッキーでした。
集まれる場所、情報交換の場所、体験を一緒にできる場所はすごい大事です。
今回の感染病でアメリカでロックダウンを経験して、2週間に1度の買い出しで。
曽於市では何かあっても、誰かが作っている。食に困らない。曽於だったら、お米はあそこ、野菜はあそこ、と生きる基本が賄えると思いました。
(日本に)いない間の麦畑も、友達や近所の人達が草刈りをして管理をしてくれていて。
何か相談をすると、助っ人が助っ人を呼んでくるんです。気づいたら5人くらい集まっている、ということがあります。教えてくださる。6,70代の方が持っている知識と言うのは大事だから。世代を超えて伝えてもらう。というのもありがたい。
日常の中での人とのつながりは心が温かくなります。
2か月ぶりに会ったとは感じさせないほど会話がはずむお二人。